母の日

カーネーション3本 ブログ

今日は母の日ですね。午後6時過ぎ、地下街の花屋の前には会計待ちの列ができていました。「これだけの人がお母さんにお花を買って帰るのだなぁ」と思いながら、多くの人が行き交う通りに視線を戻したとき、ここにいるすべての人がお母さんのお腹の中から生まれてきたんだ、という当たり前の事実に一人静かに驚きました。

自分が子どものときの母の思い出を辿ると、印象的な場面が二つありました。一つは幼稚園のお迎えの場面。多分、その日は母がいつもの時間に迎えに来なくて、私は一人で母を待っていました。幼稚園は神社が運営しているところで、長い階段の上に神社と園庭があった記憶があります。高い階段の上で、下の道路を見下ろしていたら、紫色のワンピースを着た母が急いだ様子で現れました。数少ない幼稚園時代の記憶の一つがその場面なのです。

もう一つは、小学校1年生のとき。夏休みに入るにあたり、学校で育てていた朝顔の鉢を自宅に持ち帰らなくてはなりませんでした。1年生に朝顔の鉢は重く、私の家は学校から遠かった。夏の日差しが照り付ける中、途中で何度も道に鉢を降ろしながら、自宅に向かう私を母がマンションのベランダから見つけて、迎えに来てくれたのです。

なぜ、その二つの場面なのか。それまでの不安な気持ちと母が来てくれたあとのほっとした気持ちのコントラストも理由の一つでしょう。もう一つ私が考えた仮説は、お母さんというものは大体子どもの隣にいるから、正面から視界に入るのは、迎えに来る場面が多いのではないかというものです。改めて仮説というほどのものではありませんが、今日はそんなことを考えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事を書いた人
神山 朋香

よろこびむすび主宰。公務員として消費者教育や労働福祉の普及事業等に従事した後、農業ウェブメディアのライターに転身。現在はコンサルティング会社で仕事をしている。2005年と2008年に出産。仕事をしながら子育てをする人を応援したい気持ちから、2019年に保育士、2023年に国家資格キャリアコンサルタントの資格取得。副業で保育園に勤務した経験有り。

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